自伝①

お茶畑や富士山がよく見える片田舎で生まれ、兄が2人おり、私は3人目の末っ子。

祖父母・両親は方言の強い関東から、この信仰の強い土地へ引っ越してきたらしい。

父は酒・女・金にだらしなく、いつも一人を好む。

母は、ありきたりな肝っ玉母ちゃん。

兄たちは長男が甘えん坊で、次男はいわゆるやんちゃな人(眉毛が激細)

父はいつも何をやらかすかわからず、母は苦労してきた。

借金を抱え、仕事も長続きせず、そんなおかげでうちは貧乏だった。

ただ、子ども時代にお金がなくて食に困ると思うことはなく、兄も最新ゲーム機を買ってもらったり、まだポケベルが流行っているころに携帯電話を持たせてもらったり、今考えれば貧乏だったかは定かでないが、住んでいる家はその頃珍しい、ぼっとん便所だった。

祖父母・両親は宗教に熱心だったため、成長とともに行う行事はその組織の中で行った。

だから余計に、他の家庭とは違うと思うようになっていた。

神社の鳥居はくぐってはいけない、お祭りも行ってはいけない。うちではクリスマスにサンタクロースはやってこなかった。他宗教と混ざらぬよう、言って聞かされてきた。(クリスマスはプレゼントを用意しなくていいから都合がよかったのかとも思う)

対立する宗教に対しては、子供を巻き込み、大人たちが聞き込みをすることもあった。当時よくはわからないが、友人の親について聞かれ答えたことが火種になることもあった。しかしそのことについて、仲の良い友人を売ったような気分になり、母と大喧嘩した。

宗教の組織の中には、「良い大人」が多かった。みんな笑顔で快活で、優しい。信心していればこんな「良い大人」になれるんだと思っていた。

でも、一番近くの大人が全然いい大人でないことにある時、気づいた。

父だ。

人間性もだが、母に暴力を振るうこともあった。それを泣きながら次男は止めていた。

大人になった今、夫婦喧嘩は理解できるが、子供にとってはその時間は地獄でしかなかった。

宗教と、人間性は無関係なんだと、気づいたのは中学3年生だった。

今思えば、宗教の歴史や成り立ちを教わりテストを受けたことも、信心しているとこんないいことがあるんだという話を何百人の中で聞いてたことも、そんな話を涙を流して聞いている大人を見ることも、異様な光景だった。ただ決して、宗教や信仰を否定するつもりはない。今の自分を作っているのは、その信仰があった上にあるのだから。

おかげで、何かを「無心に信じることの大切さ」を知ることはできた。

それは自分自身を信じることだから。

自分が信じたいものを信じることってなかなか難しいんだよね。

だれでも人のせいにしたいし、人のせいにすれば楽だから。

でも、すべては自分が選んで、進んできた人生。失敗ばかりだけど後悔はない。

まず根底にあるこの考えは、この家庭環境にいられたおかげかと思う。

これが偏(変)人主婦が生まれた経歴でした。

今日の発見。

このブログ開いたの、1年前の今日だった( ;∀;)

だいぶ放置してたけど、またぼちぼち更新していきたいな。

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